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筑豊(2)-鉄道王国だった地

(筑豊レポートその2です。初めての方は、最初からお読みになると、より楽しむことが出来ます。)



(福智町 赤池駅付近)

福岡県赤池町。
夕張の前に、「財政再建団体」となり、その後脱却したこの町には、かつての国鉄の路線が
第3セクター「平成筑豊鉄道」と名を変えて走っている。

筑豊では、かつては多くの鉄道路線が存在した。

ckho32.jpg

(宮若市石炭記念館に展示されている、石炭輸送用の機関車)

もちろん、石炭の輸送という目的のため、炭鉱とターミナルや港を結ぶ鉄道が必要とされた。
ところが、昭和30年代の「エネルギー革命」による炭鉱の相次ぐ閉山によって
数多くの路線が廃線へと追い込まれていった。

現在ではこうして、JRの現役の路線や、第3セクターによる経営で、細々と存続するまでに縮小した。

かつては鉄道網が縦横に走っていたとされる筑豊…。
今からでは想像できない光景だが、道を歩けば、いたるところにその跡をみることができるのだ。
★路線図★

ckho99.jpg

この路線図を見てもらいたい。
これは、現存する路線に、廃線になってしまった路線を組み合わせたものだ。
(私鉄などは割愛)
黒、青、赤はすべて鉄道路線だ。

海沿いにある福岡市や北九州市という百万都市よりも
内陸の筑豊地方の方が、細かく路線が通っていたことがわかる。

そう。炭鉱の最盛期は、筑豊の方が賑っていたのだ。

しかし、その路線たちは時代の流れには勝てなかった。
今度は赤の線を無視して、黒と青の線だけを見て、路線図を見てみよう。
すると、筑豊から多くの路線が消えたことがわかる。
筑豊からは室木線、香月線、宮田線、幸袋線、漆生線、上山田線、添田線、油須原線といった
路線が消えてしまった。
伊田線、糸田線、田川線は、第3セクター「平成筑豊鉄道」が買ってくれなかったら、今頃存続は出来ていないはずだ。

かくして、内陸の路線がシンプルになり、海側の路線ばかりが残ったのだ。
ところが、筑豊を注意深く歩いてみると…


★駅前跡、とわかる不自然なロータリーと商店街★


ckho35.jpg

稲築町(現在の嘉麻市)にある、「鴨生駅」の跡。
ここも「漆生線」という路線が走っていたが、廃線となってしまった。
ただのバス停だけになってしまったが…

ckho36.jpg

これが「ただのバス停」の風景だろうか。
ちょっとしたロータリーがあって、商店が並んでいる。道路幅がやけに広い。
そう。ここは駅前だったのだ。
駅を失ったままの駅前なのだ。

なお、駅のホームなど跡地は、公園として整備され
かつてここに鉄道が走っていたことを伝えている。

ckho40.jpg

さらに、漆生線の跡を南下する。
ちなみに、今車で走っているところも、ちょうど列車が走っていたところなのだ。
ガードレールに隔てられた、車一台通れそうな道路。
そこから段差があって、もう一本道路が走っている。
列車の視点で車を走らすことができるのだ。

その先には…

ckho66.jpg

なんと、ホームと待合席がそっくりそのまま残った駅が!!

これが、漆生線の「才田駅」だ。

かつての漆生線だった道路を走って、分岐点の裏手にあるので気が付きにくい。

ckho67.jpg

雨をしのぐための屋根や、並んだベンチまで健在だ。
いたるところで崩れているが、奇跡的に原型をとどめている!
…が、なんという生活感だろう。

ホームには物干し台が置かれ、近所のおばちゃんが洗濯物を干していた。
さらに、ホームの下には、ドラム缶が置かれ、物を燃やしている光景もみられた。

近所の人は、この駅を自分たちの庭かなにかのように扱っているのだ。

もう列車はやってこない。
だから使わせておくれ、といって生活空間に変えてしまうことを、僕は悪いとは言わない。
こんな形になっても、駅は人がメッセージを発信したり、受け取ったりなど
駅を中心に地域の人が集まったり、生活の一部になるような空間として機能していることは
僕はありがたいことだな、と思う。

それは、かつて駅があったところが、とりあえず駅のシンボルが残されたまま、公園や石碑などに姿を変えるも、地域の人が近づいてこなかったり、愛されなかったりする場所よりはいいだろう。

ckho68.jpg

色あせた張り紙が貼られている。

「大不況の元凶 消費税を撤廃しよう!」
「JR九州はすぐ 地労委命令を受け 全員を採用せよ!」


国鉄が解体しJRに移行したのは87年。
消費税は89年。
いずれも昭和と平成の境目で、バブル経済の真っ只中だった。
駅は時代が動くとき、メッセージボードの役割を果たしてきたのだ。

才田駅は、1966年に開業し、86年に廃止となった。
わずか20年しか駅として機能しなかった。

―それから23年後の現在、2009年。
駅としての機能より、こうした生活や声を上げる場としての役割を担っている第二の人生の方が長い。


★九州一人口が少ない市にも…★


ckho70.jpg

嘉麻市の中心をなす、かつての山田市の中心街「上山田」。
山田市は、合併して嘉麻市になる前は、日本で二番目、九州で一番目に人口の少ない市だった。
その数なんと、約11000人。
もちろん、石炭産業で賑わっていた町なので、昭和30年代には、約4万人もいたという。

ckho72.jpg

「本町通り」と書かれていて、商店街っぽいが
これは1階部分が商店、2,3階が住宅になっている、複合建築だ。
昭和の頃、いたるところでこういった建物がみられたという。

ckho71.jpg

上山田の駅前だったところが、現代的な広場として生まれ変わっている。
昭和の田舎の商店街の趣が、ここへきて、現代に引き戻される。

ckho73.jpg

「上山田線」を上山田から西へ行くと、「大隈駅」の跡が公園となっている。
大きな信号機が、ここが駅だったことを伝えている。
やはりここも元駅前は商店街になっていた。


★筑豊での駅舎の扱い★


ckho75.jpg

筑前内野駅。
筑豊から久留米方面へ向かう、筑豊本線の駅。
山間にあり、本数が1日8本しかない駅だ。福岡県なのに!

数年前に木造建築に立て替えられた。老朽化が原因らしい。

駅には落書きは少なかったが…
九州の駅舎やバス停の扱いはヒドイそうだ。
DQNがやってきて、駅に落書きをしまくったり、壊していくこともザラだ。
福岡、とりわけ筑豊での「駅寝」(駅で寝泊りすること)はやめた方がいい。
深夜、DQNのたまり場と化すといわれている。



特に、日田彦山線の「香春駅」(かわらえき)
かつては、建築学的価値が認められ、歴史資料館になる予定だったくらいの、趣のある建物だったといわれている。
ところが、DQNに放火され、焼失したという。1995年のことだ。


さて次回は、「バス停と取り残された昭和」について。

次回に続く!



本日のまとめ


・筑豊には多くの鉄道路線がありましたが、多くが廃線になりました。
・駅がないのに、駅前っぽい場所もあります。
・駅の跡は公園になっていることが多いです。
・福岡の駅は深夜、ヤンキーのたまりばになるので、駅寝はやめましょう。
・駅は洗濯物を干すのに向いています。




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